50年の歴史に終止符

引越

生まれ故郷、水俣の実家の荷物を整理してきた。
50年の歴史が家の隅々にほこりをかぶっている為、次から次へと出てくる出てくる本や写真や書類、手紙と記念品。色あせた手紙を読み、黄色くなったモノクロ写真に見入るがこれでは作業が進まない。
父が著名人だったため多くのカップ、賞状を教育委員会に引き取ってもらえないか連絡し、膨大な蔵書も市立図書館へ連絡して来ていただいた。
母が教室を開いていた当時の毛糸製品やパッチワーク製品、多くの和服や洋服、バッグは知人に渡して陶器や食器類も分ける。それでも残り、これだけのものがあれば貧困で苦しむ外国の幾つの家族が助かるだろうかと考えるが今は何もできない。
姉夫婦と私達と娘、まる4日間の作業にへとへと。やっと5日目にシルバー人材センターと運送業者に依頼したが、さすがプロの仕事は速い。

水俣のゴミは家庭では21分別して出すことになっており、水俣病の教訓を生かした「環境都市」宣言後は市民総力で環境改善の努力をしている。だから、引越の際の廃棄物の分別作業もかなり大変。できる範囲で私達が分別してもシルバー人材センターには「これではまだダメですよ」と指摘されてしまった。
プロ6人は一日で荷を運び出した。ありがとうとチップを渡す。

  • 多くの気持ちを込めてありがとう

21日、がらんとした各部屋を掃除して水道、電気、ガスをストップした。昨日までとうって変わって今日は快晴。ホッとした気持ちを天候も表してくれているようだ。反面、寂しさも湧いてくる心はここで暮らした小中学時代の心になり、このまま明日もあさってもこの縁側にいるのが自然だよ、と言っているようだった。
お世話になった多くの人に御礼をして水俣を去った。さようならそして心よりありがとう!!