都会ではわからないことが里山ではわかる

  • 雨の中の二人

橋幸夫は言いました。「雨が小粒の真珠なら〜」と。しかし、この20日から続く激雨と少雨の繰り返しには、頭の中が悩みで満ちあふれ爆発しそうです。真珠なんかじゃないナパーム弾だ。

  • 氷の世界

井上陽水も「毎日 吹雪 吹雪 氷の世界」と言いますが、田舎では氷雨が突き刺すように連続すると家の中でひざっこぞうを抱えてため息ばかりです。7月でも冷たくて外での作業はできません。家の中では、FMの音量を上げ寒気払いです。

  • ジュピター

「木もれび庵 たゆたゆ」には豪雨という刺があちこちに突き刺さっていますが、平原綾香の歌にシンパシーを感じます。エブリディアイリッスントゥーマイハート。耳を澄まして私の声を聞いてください。世の中では意味のないことなど起こりもしない。

  • 激しい雨に思うことは人類の未来

この間の豪雨では北部九州でも5人の死者(25日現在)が出ました。山口県では多くの死者が出ています。何故こんなにも天は雨ばかり降らせるのですか。
いくら激しい雨が降っても都会では生命身体や生活にはそんなにも影響はありませんが、田舎では体が凍るほどの身のすくみを感じる時があります。雨の中を心配で田畑を見回ります。ほほをなでるような雨のしずくでもいてもたってもいられないときがあります。
自然が呼吸しているかのごとくその営みを肌で感じる里山暮らし。季節の移り変わりや太陽、星の千変万化に時の移ろいなど、すべての流れに野草樹木が反応して小鳥や虫が身体を動かしています。里山では人間もそんな風景の一部にしか過ぎません。もし、人間が自然を破壊していけばその報いは必ずやあるでしょう。それは、地球上の人間に等しく時を越え、所を替えて起こりうることだと思います。自然を恐れ、愛する想像力を働かせる考えは里山暮らしが得やすいでしょうが、都会にいても歩きながら土に触れ、空を仰ぎ、足元に眼をやり自分以外の生命を感じて欲しい、と土を穿つ激しい雨音に身をゆだねながらこの数日間考えてしまいました。

カボチャがつるを伸ばし、畝間に溜まった水に実がおぼれかけています。発泡スチロールを敷きました。

田を畑に転換しているので高畝にしても雨量が多ければ水が溜まります。真ん中は小川ではありません。

昼間でも暗い犬小屋周辺は考えなくてはいけないかな。カミナリには”はな”がおびえて一晩眠れなかったでしょう。”清兵衛”は食べることしか考えていないので雨は強く感じないようだ。