ありがとう

13日、お通夜、弔問客が帰ってしまった8時半ごろ斎場に着きました
東の魔女・ばあちゃんの遺影が笑っています
別れてから10年、未練が残ると思いあえて連絡を取っていませんでした
目を閉じた”ばあちゃん”、最後まであなたのそばにいなくてごめんね
結婚して30年、いつもばあちゃんは私のそばにいてくれた
病気がちだった子供や私の面倒を快く引き受け、夫との関係がこじれていた時期も味方になって見守ってくれた
奈良県十津川村の生まれ、小さい頃よく天理や熊野参りなどにいったそうだ
家が貧しかったので女学校へはいけずお手伝いさんとして働きに出て結婚はしたけれど酒乱癖の人で治らず別れたといっていた
その後、再婚同士のじいちゃんと一緒になり、北海道の美唄炭鉱へ移った
中々子供が生まれなかったが、臨月の友人が事情があって離婚することになり、生まれた子供を養子として引き取った、その人がキリコの前夫(6年前に亡くなった)
その後、すぐ身ごもり10ヵ月後次男として義弟が生まれた
わけ隔てなくというより、病弱な長男に、より手をかけて育てたと思う
炭鉱も閉山になり仲間とともに千葉県に引っ越してきて、じいちゃんは工員ばあちゃんは社員食堂で働きながら、畑も作っていたという
こまめに台所に立つ人だった
畑の野菜はいつも食卓にあったし、北海道の味は季節ごとに出てきた
決して人の陰口をいわなかった
注意を促すときは面と向かって話し後は何にも残らない性格で、人のためのお金や労苦は惜しみなく、自分は勤勉で質素だった
私が子育てや人間関係で悩んでいると、いろんなことわざや例えで気持ちが緩むように接してくれた
そして、ばあちゃんの不思議なことは早くして亡くなった母親が白い着物を来て夢に出てくると何か回りで災難や事故や病気が起こるみたいなので、そんな日はいつもより注意するようにとよく言われた
注意してても受けるときはあるけど、大難が小難にとおもえるし、見方を変えれば転機やきずきと思われた
全ては自分から発し自分に帰ってくるし、人はみな何かしらのお役目があるんだよ
来るものはお役目と思って素直に受け入れ、もくもくとやり尽くせばいいんだ・・・
東の魔女・ばあちゃんの言葉はいつも私を助けてくれている
私は嫁として出会い、娘のように大事に育ててもらった
ばあちゃん、沢山の魔法の言葉と大きな温かい愛情を有難うございました