”ひむか”巡行 その4の2・石神山に金龍?


おーい、母ちゃん!子供たちは順調かね?””はいあなた、元気ですよ〜”

”そういえばキリコさん、今朝も畑でブツブツ言っとた、・・・ケルトアイルランドストーンサークル・海洋渡来人・太陽信仰・アマテラス・ニニギ・ホオリ(山幸彦)・ウガヤフキアエズ・カムヤマトイワレヒコ(神武)・日子八井命(神武の子・草壁吉見)・・・・う〜ん、パニックで、頭動かん!


      


で、石神山のストーンサークル発見の経過は、申し訳ないけれど、{巨石ネットワーク日向}のブログを書いていらした今は亡き”猫ばす堂”さんからお借りしました
http://blogs.yahoo.co.jp/nekobusudou/43781983.htm
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先日の「日向の巨石シンポジウム」でも注目をあびた
日向市美々津の田の原地区ある石神山。
この石神山が“復活した”背景には、ひとつのドラマがある。
2005年、西都原考古博物館で開催された「イワクラサミットin宮崎」
トークゲストとして宮崎を訪れた巨石の写真家・須田郡司氏はこの時、県内の巨石をいくつか訪ねてまわったという。
そのときの様子は「日本石巡礼 〜聖なる石に出会う旅・9〜」として、今でもネット上に公開され、誰でも読むことが出来る。
この記事が、田の原の二人の姉妹の目にとまった。
「90を越えるうちの父から、『石神さんは昔から大事にされていたすごいところなんだ』と聞かされていました。でも今では誰も行くことがない。
ところが偉い写真家の先生が見に来てくれたというじゃないですか。
そして杉の林に埋もれた巨石を見て、がっかりして帰られたなんて、地元の者としてなんて申し訳ないことをしたのだろうと思って。
だから二人でぼちぼちと藪払いを続けてきたんです」
ネット上の記事を目にしてから6年の間、
ふたりは少しずつ石神山の石神さんのまわりの藪を払い、その範囲を広げていったという。
「そしたら藪を払えば払うほど、大きな石がごろごろ出てくるじゃないですか。
それで怖くなって、誰か専門家の人に見てもらおう、と思って」
そして猫ばす堂に連絡が入った。「石神山を見に来て欲しい」と。
これが石神山復活の始まりとなった。
それまでも石神山のうわさは耳にしていたけれど、
登山口もわからず、藪に埋もれた巨石の写真は
その神々しいまでの魅力の、半分も伝わってこない。

ところが6年の歳月をかけて、二人が藪払いをした石神は圧倒的な存在感で訪れるものみんなを魅了した。
そして先日、「日向の巨石シンポジウム」のプログラムとして60名もの参加者を石神山に迎えるほどになったのだ。
このドラマのきっかけとなった記事を書いた
巨石の写真家・須田郡司氏が石神山にやってくる!
いつか本当の石神山の姿を見てもらいたいというふたりの願いがとうとう身を結ぶ時が来たのだ!
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”猫ばす堂”こと日向市教育委員会の谷口さん(女性)は去る4月5日にまだ45際の若さで逝去されたそうです
須田郡司さんもブログでただただ無念でならないと述べられています
今はそのブログを引き継いで、工作員という女性が書かれていますので覗いてみてくださいね
谷口さんもオーブが映る方だったようです
2012/2/18のブログで石神山のセンターストーンでは50%の確率でオーブが映ると写真を載せてあります
(猫ばす堂さんブログより拝借)
キリコもなんとなくそんな気がしたのですが
まだ、現れてはくれませんでした     
そして、ストーンサークルは石神山だけでなく、この周囲の山々は殆ど巨石が見つかっているそうです
まるで、アスカの地上絵を石で描いたような、美しい庭園が描かれているような・・・と、お二人は話されます
左から、Sさんこと鈴木さん・キリコ・幸さん(姉)・手前は安藤さん(妹)
時間があれば、まだまだ驚く場所へご案内したいと言われたのですが、大御神社の宮司さんとの約束の時間も迫っていたので、後ろ髪を引かれる思いで、お別れしました
でも、おみやげに凄い写真を頂きました
2012/3/21彼岸の日、朝陽をカメラで納めたのです
お二人は葉っぱに朝陽が輝いていると思っていたらしいのですが、この写真をみた他の方が”黄金の昇り龍だ!”                                                   

この壮大なストーンサークルを表に出してくれたお二人、そして、90歳過ぎてもまだ一緒に山に登っているお父さんへ龍がお礼をいいに現れたのでしょうね
・・・やっと大御神社へと続く