女の祈り・男の哀しみ



男はかなしい
いや、正確にいえば、男という字はかなしい
田に力を入れる、つまり土地を一所懸命に耕す男の姿はけなげに美しいといえるだろう
しかしそれでいてなお、一所懸命に働く男の姿は、どことなく哀しい
これは、そのように男が必死で働いたところで、彼がその死後に残すものは「志」という士(おとこ)
の心、とどのつまり形なきものだからではないだろうか
「父は永遠に孤独である」とうたわれるように、父は母と違い、形あるものを残すことが出来ない


これに対して、形あるものを残すことの出来る女は、どっしりと構えていればいいのである
どっしりと構えて何をするか、といえば、祈ればよいのである
古来、女のすることは祈りだった
だいいち、女という字は女が足を「く」の字に曲げ、手を胸の前にだして祈る姿の形象文字である
祈りの行為をする人間の姿それ自体が「女」なのである
それは気高く美しい

男は「一所懸命」に働くことによって、健気に美しいが
女はその「祈る」姿によって神聖に美しい
男の力は必死に働く一個の人間の力である
これに対して、女の力は神に通じている

神とは日本人にとって、宇宙の唯一神の謂ではなく、畏きものなのである
人間の力を超える、畏るべき力を持ったものが、風であれ水であれ、すべてカミなのである


そうだとすれば、男は神に通じている女の力を借りることにより
一個の人間の力を越えようとするのだ
                   作家・思想家・麗澤大学教授 松本健一
           浜田マキ子著   「キレイはマネから おしゃれは勇気」の寄稿文より




ふぅ〜む、男も女もいつまでも美しくあれ!