見えるものの後ろで見えないものが支えている

博士の愛した数式

私、魔女キリコ、やっと念願がかないました。

小泉尭史監督の”雨上がる”"阿弥陀堂だより”に続く寺尾聡出演の3作目。

見終わって、しばらくは言葉が出なかった。じっと画面のスーパーだけを見ていた。

感想を述べるにはあまりにも貧弱な語彙しか自分が持ち合わせていなかったから。
主人公はだれ?博士?いいや、"数"だ。知れば知るほど魅惑的な"数”。そして"数"をとうして博士の口から出る"言葉”。

映画は吉岡秀隆扮する、「ルート」と呼ばれる教師の思い出からはじまる。
家政婦として働くシングルマザーの母親が、事故で80分しか記憶の持たない数学の博士宅に雇われた。1人で子どもが家にいるのは不自然だ、と博士に言われ、息子の自分「ルート」も学校帰りに博士宅に寄るようになる。

寺尾聡の自然体の表情がふと、宇野重吉と重なる。子役の斎藤隆成が「北の国から」の小さな吉岡秀隆に見える。深津絵里もキリコの好きな女優。浅丘ルリ子、この映画のもう1人の重要な役柄。
  数学の定理・ルートマイナス1=i   
     iはあい、そう・・・愛!  友愛、親子愛、恋愛

  • 「数と言」には摩訶不思議が宿る

この映画では色々な愛が見え隠れする。そのなかで日常の生活がいとなまれていく。
思い出話をしながらルートの進める数学の授業、なんと詩的(素敵よりもっと高度)なんだろう。それこそ素敵な素数、謙虚な虚数、なんてね。それに博士の口から出る、頭くらくらするほどの魅力的な言葉。

こんな授業だったらもっと数学好きになっていたのに。

古来、「数と言」には不思議な力が宿ると信じられてきた。数の裏には必ず言が、言の裏には必ず数が隠されているという。「数は万物の根本をなす」「はじめに言葉ありき」。
    ー
【最近知ったのだが「古事記」には再解釈があり、それは言霊や数霊でおこなわれていた。『日月神示』(ひつくしんじ)の岡本天明などはその代表的な人。
岡本によれば、0(ゼロ)の中に身を隠した五神がいる。神は独神だから奇数、〜〜】
    ー
人と深くかかわり、人とともに生きている「数と言」。
博士が言う、見えるものの後ろには見えないものが存在し支えている。それを直感で、そしてあなたのハートで感じることだ、と。

  • 真実は心に在り、愛は足下に在る

過去に生きていた博士、80分の間しか記憶がないことにとらわれていた博士が心を開き、そのまま今を受け入れようとした時に書いた定理が、
eプラス1=0、、、、、、、
プラス1の1はひとが寄り添っている姿にみえる。
0は無、ないのではなく今から生まれてくる無限大の可能性をしめす数字として心に映る。