小川未明の童話

キリコは時々無性に童話を読みたくなるのです
浜田広介、新実南吉、坪田譲治椋鳩十宮沢賢治、そして小川未明
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宮沢賢治では”注文の多い料理店”が好きです
なんか、楽しそうにしていた二人の猟師がだんだん、?、と思うようになり
最後に恐ろしさで逃げ出したものの顔がしわくちゃの新聞紙みたいのまんま治らなくなる場面に
いつもケタケタけ笑ってしまった(多分笑っているキリコの顔もしわくちゃの新聞紙?)
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小川未明のは言葉使いがとてもいいのです

  • 『月夜とめがね』の話

ある月夜の晩に"おばあさん、おばあさん"と、誰か呼ぶのであります
めがね売りの男でありました
選んでくれためがねをかけるととてもよく見えました
おばあさんは目がかすんで糸が通らないで困っていた矢先でありました
男が選んでくれためがねをかけると一字一字がはっきりとわかるのでありました

夜更けにまたおばあさんのところにトントントンと戸を叩くものがありました
戸を明けると美しい娘が指をけがして立っているのでありました
おばあさんは傷の手当てをしようと思いよく見えるようにめがねをかけてみると
それは人間の娘ではなくきれいな胡蝶で足を痛めているのでありました
おばあさんはこちらへおいでとやさしく言って裏の花園のほうへとまわりました

月の青白い光が満ち満ちている花園はまったく静かでありました
おばあさんが立ち止まって振り向いた時娘はふっといなくなっておりました
おばあさんは”みんなおやすみ”とつぶやいて家に入りました
ほんとうに、いい月夜でした
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幻想的で静寂と荘厳さと・・・青白い月の夜には、人間の姿をした虫たちがそっと家の周りに佇んでるかもしれないと思ったものです

  • 『牛女』の話

いつも黒い着物を着てのそりのそりと歩くのでいつのまにか”牛女”と呼ばれるようになった
やさしく、涙もろく、力も強かったので村人は力仕事を頼み二人を見守っていた
でも、牛女は病気になり死んでしまう
子ども思いの牛女の気持ちを深くさっしあわれんだ村人はみんなで残された子どもの面倒をみて育てる
子どもは大きくなるにつれ死んだ母親を恋しく思い村はずれにたってかなたの山々を眺めることが多くなる
ある冬のこと大きな山の中復の真っ白な雪の上に黒く浮き出して見えたものがあった
それはだまって子どもの身の上を見守る牛女の母のようだった
子どもはその事を誰にも告げずにいたが、いつのまにか村人にしれることとなり、母親と子どもの情愛の深さを人々はかたるようになり、また、その姿は春になると消えてしまうので季節の目安としていた
しかし、子どもは大きくなり町に奉公に出て、ある年黙って故郷を去り南の国に行くってしまった
そして、人々は町中で真夜中に大きな女がさびしそうにあるいているのを見るようになった
人々は"牛女は子どもが故郷を出て行ってしまったのを知らないのだろう。それで町の中を歩いて子どもを捜しているに違いない”と哀れみました
ある夜、牛女がさめざめと泣いているのを最後に人々は冬になっても山にも町にも黒い姿を見ることはありませんでした
子どもは南の国で一生懸命働き、それなりの金持ちになりましたが、だんだん故郷が懐かしくなり、親切にしてくれた村人を思い出し、お礼を言わなければと思い故郷へ帰ってきました
子どもは村人の為にもなると思いリンゴの木をたくさん植えて事業を始めようとしました
春には雪が降ったように村中リンゴの花が美しく明るく咲きました
でも、初夏に実がつく頃虫がついて全滅するのです
何年もそんな状態が続いた時、古老が”これはなにか仔細があるのかも知れない。おまえさんに心当たりになるようなことはないかな?”とききました
子どもは静かに考えた時、自分は町を出て、遠方へ行った時、母親の魂に無断であったことを思い出しました
また、故郷へ帰ってきてからも墓参りはしたもののまだ法事をいとまなかったことを思い出しました
あれほど母親は自分を可愛がり、死んでからも自分の身の上を守ってくれたのに、自分はあまりにも冷淡であったことに心づきました
それで子どもは村の人々も呼びねんごろに母親の魂を弔いました
明くる年の春、リンゴの花がまっ白に咲き、夏には青々と実りました
そしていつものように悪い虫が出始めた時、どこからとも無くたくさんのこうもりが飛んできて悪い虫をみな食べたのであります
その中に1匹大きなこうもりがありました
その大きなこうもりは丁度女王のように、他のこうもりを率いているごとく見えました
その年、リンゴは多くの収穫がありました
人々は"牛女がこうもりになって子どもの身の上を守るんだ”とそのやさしい、情の深いこころねを互いに語りました
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いつもこの物語に涙するのです