東京タワー

東京タワー

田舎暮らしをする私には、世間で言う娯楽は読書と映画。”オカンとボクと、時々、オトン”の副題を持つ映画「東京タワー」を封切り二ヶ月も経った先日見た。オダギリジョーがボク、オカンは樹木希林、オトンは小林薫。主題歌は福山雅治の「東京にもあったんだ」。
原作はベストセラー作品のようだが、興味が無かったので読んでいない。もし読んでいたらいくらオダギリジョー樹木希林でも映画は多分見ないだろう。本の活字は、自分なりの活字に対するイメージや解釈、行間から匂う世界や原作者の思いなどが入り乱れて飛び込んでくる魔力を持つので、そこで描いたものを大事にして映画を観るとほぼ失望感が多くを占める。多くの読者を魅了したテーマを映画にするのは難しいのでは、と素人だけど思ってしまう。
映画を観た動機は、魔女キリコが観たいというので同伴しただけなんだが、感想は素直に良かった。九州生まれで大阪育ち、時々東京の私には琴線をピンピン弾く内容で素直にスクリーンに入っていくことが出来た。映画といえば若い頃はアートシアター系やあちらものがほとんどだったが、最近は邦画のほうに味と落ち着きを感じる。

タワーといえばエッフェル塔を模した通天閣のほうが身近に感じる。大阪浪速区にあるがここタワー付近は庶民の町で下町でも最高の下町。特に狭いアーケード街、じゃんじゃん横丁などは将棋や囲碁スマートボールに立飲み屋に串かつ屋、おっさんあふれる昼間から宴会の町。初めて歩いたときはふらふら歩く人や路上に寝転んでいる人、大声を出す人にびっくりして途中で引き返したものである。
映画のシンボル、東京タワー。上京者が一度は上りたい東京タワーであるように通天閣は浪速のシンボルである。しかし、東京タワーを見上げて「東京に着たんだ」と田舎を思い出すように通天閣を見上げては思い出さない。政治の中枢・東京とローカル色も帯びる大阪では感じ方がずいぶん違うようだ。大阪では感傷に浸るより「さあっ、もう一軒いこか」とはしゃぐ私だったように思い出す。

  • おふくろ

男にとっては、いつまでもお袋は心の拠りどころである。「ありがとう」「ゴメン」の言葉がいつも心から出てくる。直接言えないのがほとんどだけど。オダギリジョーは素直に気持ちを表していたな。お袋にここまでやさしく感情を素直に表現できる息子はそういないと思う。逆説的に言えば、あまりにも二人の関係が愛情に包まれた自然形なのはちょっと非現実的ではないだろうか。その意味でたんたんとしたほのぼの映画の域を出ていないと評したい。集団就職があり、あるいは進学のため東京関西へ、親元を離れて下宿生活をした懐かしい回顧の気持ちをもう一度、と思う方には最適の映画である。

  • おやじ

同性のおやじはライバルであり、尊敬する人であった。男の生き様に反発したり、見習ったりした。悔やむことは、もっと話をしたかった。もっと知りたかった。やはり、おやじというもの”時々”でしかない。これが娘ならいつも後ろをついて歩きたい、いっしょに食事をしたいのがおやじ。