祈っています。雨よ、もう満足しましたのでどうか止んで下さい

もう今日で五日連続の激雨。テレビでは、一月分の雨量をすでにオーバーしていると言っている。とにかく極端なんだ。何をそんなにお怒りなんですか。我々人間がいけないことをしているのですか。
”田舎暮らし”は日々、瞬間瞬間の自然の変化を知り、喜び驚き嘆く。二度と同じ事は起こさない流動化する自然。昨年の今頃はこうだったから野菜の苗の定植をしよう、と昨年の日記を見て決めてもダメ。生活すべてがそう。サラリーマン時代は雨だろうが晴れだろうが台風だろうが仕事の内容はそんなに変わらず出勤時の心持、雰囲気だけを”替えた”だけだった。コンクリートと地下鉄に囚われた都会の人間に千変万化する自然の営みは無関係なのである。
写真は昼間なのに山で降る激しい雨は世の中を暗くする。

  • カビの宿

<木もれび庵 たゆたゆ>は、呼吸する家なので湿気も飲み込み外へ吐き出してくれるが、こんな激しい雨が続けば「カビの香り」が充満しそうで「カビの宿」になりそう。
外はあちこちに見たことも無い「梅雨茸」が誕生しているし、寒くて鼻水が止まらない。

  • 心配事は三つ

野菜と犬と地盤が心配。
すでに夏野菜達は悲鳴を上げ、小さいまま腐りかけている。お米は嬉々としているけど野菜のほうは太陽が無い、根元が水浸しではアマゾンのジャングルの中で大きくなれ、というどだい無理な話である。
ワンチャンたちも周りはジメジメだし散歩にも行けない。年寄りの花ちゃんはこたえるだろう。<清兵衛>はまだ若いから自分の小屋の前で平気にウンチをするけど<花ちゃん>は散歩をした時に”他人のところ”でしか落とさない?今は我慢しているんだろうな!
心配事の三つ目、土盛りのところが流れ出して今にも崩れそうになっている。シートでカバーするか排水溝を作るかしないといけないようだ。

  • 雨の歌の思い出

・雨の中の二人(橋幸夫)〜雨が小粒の真珠なら〜
姉が好きだった橋幸夫。正月に家族で温泉に行った時テレビを見ながらそのことをはじめて聞いた。小学生だったと思うが、私はポカ〜ンとして聞いていた記憶がある。
・雨(ジリオラ・チンクェッティ)〜ノンバーニャ云々〜
・悲しき雨音(カスケーズ)〜リッスントウだったかな〜
ラジオにかじりついて高校生のときよく聞いたポピュラー。ヨーロッパのこの種の歌が最近無いのは面白くない。ロックやレゲエのアメリカナイズされた曲が蔓延した状況は、おじさんには小寂しい。
・アカシヤの雨がやむとき(西田佐知子)〜アカシヤの雨が止むとき〜
先輩の披露宴二次会で組合活動家の女性、花嫁の妹が歌った曲。誰も聞かず私だけが「情感こもっているな」と聞いていたような気がする。そして思ったことは、このシュチュエーションにこの曲はまずいのでは。
・雨(三善英史)〜雨に濡れながら〜
花街で働く母を歌ったのだろうか東京・渋谷にその景色があると聞いた。大きく時代が変わり、渋谷の花街は”東電OL殺人事件”の舞台にもなってしまった。女性のエリート社員が夜な夜な体を売り、殺される特異な事件は冤罪事件とも言われているがその後どうなったのだろうか。
・九月の雨(太田裕美)〜九月の雨は冷たくて〜
後輩がファンだった。熱烈ファンの彼、とうとう太田裕美に良く似た彼女と結婚したが、その後太田裕美に似た子供は生まれただろうか。彼女の手作りおにぎりをいただいたが、あまり美味しくなかった。多分、お米のせいだろうよ裕美ちゃん??
・傘がない(井上陽水)〜行かなくちゃ雨の中を〜
当時の大学生の心情は、雨の中をデモに行くか彼女とデイトするかどちらかだったと思う。政治に関心持つ私はデモのほうだった。傘が無くても濡れながらの彼女とのスクラムも選択肢の一つである。
・京のにわか雨(小柳ルミ子)〜雨だれが一粒ほほに〜
京都に住んでるときは雨が降れば自然に口ずさむ歌だった。楼閣がひしめく界隈で流れ聴く曲は、いっそう雰囲気醸成に役立っていた。
・雨の慕情(八代亜紀)〜雨雨降れ降れ〜
私に抱かれた幼い娘が、お父さん雨だよといってこの曲を身振り手振りでもぐもぐ歌っていたな〜。
・銀の雨(松山千春)〜あなたと暮らしたわずかな時間〜
知人の女性が好きだった歌。車のワイパーが雨を弾くのを見ながらよく聞いていた。そのときは何故か必ず私は助手席だったように思う。そして、振り向くと濡れた歩道に光るショウウィンドウのマネキンが笑っていた。