今週のお題 父の日によせて


ブログを引き継ぎ書き始めて半年になりました
ブログの仕組みなどわからなく、ただ、友人知人に元気で居ることを伝えたくて毎日書いておりました
この頃、”はてな”からいろいろな方が覗いてくださり、毎週、お題があるのも知りました
今週は父の日にちなんだことなので書いてみようと思います

父は早くに両親に死に別れ苦労したようです、台湾で教師をしていて看護婦の母と結婚しました
戦後引き上げてきてからは会社勤めの傍ら、畑を作り、ニワトリ、ヤギを飼い世話をしてました
川や海に魚釣り、貝採り、山の薪拾い、山菜取りと私はいつも父と一緒でした
料理好きで、魚料理は勿論、好き嫌いが多く虚弱体質の私のためにいろいろ工夫して食べさせてくれました
おやつによく金時豆入りパンを焼いたり、夏ばて防止にニンニク鉄火味噌を作ってくれました
それでも、中学生になると私はなんとなく父が疎ましく思えるようになりました
焼酎が好きで晩御飯が長くなり時々母と口げんか、怒って、寺内貫太郎みたいにちゃぶ台ひっくり返して外に飲みに行き、酔っ払って帰ってきて酒臭くてうるさくて・・・
だんだん、父が話しかけても、つんつんした態度をとるようになりました


中学3年の頃でしょうか、会社で組合の大きな賃金闘争が始まりました
有名なストで全国から応援が来て、まちなかはとても騒がしくなりました
父は拠点長を引き受けていたので、給料はなく、母も支援やアルバイトにでかけました
私は高校へいけるかどうかの不安と頑固なまでの父の活動に不満を持ってました
そんな時、母方の祖母がたずねてきました、母の様子を見に来たのでしょう
2日程滞在して帰るとき父をそっと呼びました、私は隣の部屋にいました
「あんたも大変だけど、応援してるから。頑張りすぎて、体壊さんように。
少ないけど、たまには飲みにも行きなさい」と父に封筒を握らせました
その瞬間父がおいおい泣き出しました、私は”父が泣いた”とビックリしました
でもその時、”あ〜、切り崩しの甘い言葉にも応じず、仲間を裏切らず、苦しさ、辛さを家族に見せないで
この先の不安にもじっと耐えていたんだ”と思い知らされました
頑固な男の人の裏にとても脆い、そして優しい心があることを知りました
それは人を表だけで判断しないという私の信条になりました

父は去年「お迎えの糸が降りてきたよ」といって86歳で昇天しました