たのむわーい

ふと、荘川桜(しょうかわざくら)を思い出しました

アサヒグラフより)

岐阜県荘川村、今は隣の白川村と合わせて白川郷と総称されていますが
1961年、御母衣ダムの建設で集落が水没しました
庄川桜はその中野集落の照蓮寺と光輪寺にあった、当事樹齢450年の2本の巨木で
村人に長く親しまれてきたアズマヒガンザクラです
水没を愛惜した電源開発株式会社の初代総裁の高碕達之助氏が桜博士といわれた笹部新太郎氏に懇願し
無謀といわれた植林史上かってない大掛かりな移植をして、救った桜です
移植後の翌年4月、細枝に柔らかい新芽がでてポツりポツリと花をつけたのです

以下、荘川村企画観光課のパンフからですが
”御母衣ダム完成祝いに移転先にいた水没住民が招待を受けて、今は水没した故郷を訪れた時のことである
一行のバスが湖畔にそびえる荘川桜のあたりに差し掛かると、一人の老婆が突然大声で
「おーい、たのむわーい、たのむわーい」
と叫んで泣き崩れた
同乗のバスの皆も一緒に泣いてしまったという
「たのむわーい」は「アミダ−・アミダー」に似ているといわれるが
この言葉は、感激の発作の声でここの水没民でなければ出てこない叫びであったろう



水上勉氏の「桜守」にもこの桜の下に日の暮れるまでじっとたたずんでいた老夫婦が
日が翳り始めると、桜の根に手を触れて泣いていたと言う情景が描かれているが
それほどまでに断ちがたい故郷への愛着や親子孫幾世代この桜をめでたその思い出は
ここ水没住民でなくてはわからないにしても
日本人の心の故郷がなんであるかを荘川桜は物語っている”



50歳のころ無性に桜を訪ね歩く旅をしたくなりました
そして何箇所目かで、この桜と出会いました
静かな場所で、思っていたより小さな花を咲かせていました
でも、湖畔にたたずんでいると
「たのむわーい」のこだまが聞こえてきます・・・


今回、たくさんの桜の木も流されました
でも、生き残った樹木よ、お頼み申します
どうか、芽吹いて、美しい花を咲かせて下さい
そして、再び帰ってきた人々に生き抜く力をあたえて下さい