森と水と共に生きる

本日NHK教育で 「日本人は何を考えてきたのか」シリーズの第3回目「森と水と共に生きる」がありました
100年前に地域は違うけれど国家的な政策に対抗し環境破壊に取り組んだ二人の思想家についてでした 

足尾銅山鉱毒事件でいのちと水を守ろうと生涯をかけて戦った「田中正造
神社合祀令に反対し熊野の森を伐採から守ろうと奮闘した知の巨人「南方熊楠
パネラーは中沢新一氏と小松裕氏
放送された中で心に響いた言葉を書いてみます

田中正造


”少しだも 人のいのちに害ありて
少しくらいは よいと云うなよ”


”水は自由に高きより  低くに行かんのみ
水は法律理屈の下に屈服せず
水は人類に  左右されるものではない
水は誠に神の如きもので
人類 誠にへぼな人類なぞの きめた事に服従はしない”

       

”真の文明は
山を荒らさず  川を荒らさず  村を破らず
人を殺さざるべし”          




南方熊楠


”宇宙万有は無尽なり ただし人すでに心あり
心ある以上は 心の能うだけの楽しみを 宇宙より取る
宇宙の幾分を化して 己の心の楽しみとす
これを智と称することかと思う”


神社合祀令に反対、その弊害を訴える

”わが国の神社 神林 池泉は
人民の心を清澄にし
いわゆる 何ごとのあるかを知らねど
有り難さに 涙こぼるるもこれなり”



パネラーの話
昔は日本には”お入らずの森”という場所がたくさんあった
人間がやることよりもっと大きなものが私達を包んでいるという感覚があった
その感覚を保つために人間の行為が入ってはいけない領域を設定していた
そこには植物が生えてて動物がいて神社があった


自然と人間の心は2つの極性ではあるが、相互に交流しあっている
それはよく似た構造をしているが自然のほうが全体的に精妙さをもっている
人間の知性は使い方を間違えると自然のもつ精妙さを捉えることが出来ない
人智を発達させるということは宇宙が持っている精妙複雑さに共鳴できるような知性を高めていくこと
この二つは何時かは合体する地点が有るはずである


(南方マンダラ)について

理路因果が錯綜しつつ統一して繋がっている
AとBは単純には繋がっていないけど相互関係が有る
複雑な経路を通して時間軸を越えながら様々な出来事は様々に結びついている
世界はそういうふうにできているし、森はマンダラに近い理想的な宇宙が創りだす構造体である


二人とも昔に帰れとは云ってない
負と捉えられる歴史にはもう片方に違う歴史、生き方もあったはず
そこには希望があるはず

二人の生き方に共感できると言うことは、日本人の内面から出ている何かを持っているということ
日本人は変わってない部分が有る
それがこれからの日本人の財産となり、これからの国の方向を決めていく