第一号の抜粋

満願寺農園からの通信をこれから送ります。
長靴の中はまだ革靴、ネクタイ・スーツ姿の百姓日記プロローグを読んでください。
温暖な大阪の地で30年。金融機関を中途退職し自給自足の百姓になる大志をもって九州の雪国阿蘇郡小国郷・満願寺に2003年春来ました。
毎日変えていたネクタイと一月二着サイクルほどのスーツも不要。髭も剃らない。散髪もしない。でも大阪と小国の違いにはこれが同じ日本の民とは?と思うところをたくさん発見しました。小学校の運動会、子供たち、挨拶、住まい、よそ者、言葉使いいろいろあるけど総じて緊張感なしで生活をもらえるスペースです。ストレスで身を減らしているたくさんの大好きな大阪の友よ、背伸びをしに来て下さい。百姓でも「稼ぐに追いつく貧乏なし」ですゾ。
とにかく畑と住まいを探さなければなりません。半年かけ大阪、和歌山と阿蘇を行き来して探しました。或る日突然、自然農法の先達者にお会いして赤い糸に結ばれたように畑を借りることができ、住まいもその方の紹介で4畳二間障子張り(四畳半襖張りではありません)を紹介していただくことができました。しかし、やはり田舎。水洗完備なしのトイレが多く、自分のウンチの行方がわかるのにはドキドキです。(教訓その一:よそ者がこの地で何かをしようとする時はこの者と身近になる。つまり、仮住まいでもいいからそこで生活することで存在を肌で感じてもらえる)
自給自足ですから、大阪時代のように近くの北大阪生協までちょっととはいきません。標高700メートルの畑には当然収穫物はなし。自生している春の七草、セリ、ナズナ(ぺんぺん草)やゴギョウ(ハハコグサ)ホトケノザ(たびらこ)などを食べました。またこれが美味。田舎暮らしの気持ちがそうさせるのか美味しいのです。しかし、数日後背中がカイカイ。ネオンきらきら都会の毒素が出たのでしょうか、これはたまらんので車で信号無しのハイウェーをぶっ飛ばし40分、皮膚科へ行きました。今でも時々当時の名残でしょうかカイカイです。おかげ様で体重も64から54キロへ減りダイエットが簡単にできてしまいました。
借りた畑は2反ぐらい(2反は600坪、2、000平方メートルらしい)。ほかに梅、竹、ウドの木などがあり、申し分無しの上に土が肥えていました。10年以上化学肥料、農薬を一切使っていないので土がフカフカになりミミズも多く、微生物もたくさんいるようです。有機農業の本や生命農法、波動農法、自然農法の本を読んで身土不二の野菜作りをしようと思っていてもズブズブの素人である私には、この畑が無かったら苦労だらけだったかもしれません。山林を切り開いたら一平方メートル当り30キログラムの牛糞、1キログラムの鶏糞、200ccの苦土石灰?を一年目は投入と聞いていたため、こんな畑を借りることができて幸せでした(教訓その二:出版物、インターネットなどから積極的に農に関する情報・知識を事前収集。特に官公庁の担当部署への働きかけが農地探しには重要)。
ああでもないこうでもないと心配することなく、四季を通じて40種類ほどの野菜を作ることができました。形不揃い、虫食いのため出荷はできませんが(でも農協の直売所に置いてもらうことができ半年で、ん万円程売れました)土の中で微生物のエネルギーが充満しているのか初心者には満足できる出来栄えでした。嫌気性のEM菌や好気性の土着菌を利用しての堆肥作りや、ミネラルを含まない科学塩より人間の元素組成とよく似ている自然塩を畑にまきました。野菜のクロロフィルムと人間の血液の化学式が類似しているという驚きに一層の愛情を抱きながら苗を育てていきました。苗の時には虫君に食べられ、レ−ス状の葉になりながらも成人すると輝く大きな葉をつけるチンゲンサイ。9月21日に定植したけど11月に入ってもほとんど葉が巻けなかったのに12月4日には収穫できるようになった白菜。いつまでもいつまでも実をつけてくれるインゲン。大地と太陽に心から感謝しました。
以下省略