空海の風景ー司馬遼太郎

「空海の風景」

サラリーマンを辞し後、久しぶりの司馬遼太郎だった。
この空海の風景は1975年に世に出たというから、私が新聞社をやめて金融機関に再就職した頃になる。
空海が唐で密教を学ぶことに始まり、最澄との出会い、交流と決別。日本人物史上、傑出した空海の天才ぶりが余すことなくしたためられているこの書に会って、久しぶりの一気読みであった。
司馬についていえば、宗教界周辺以外からの宗教人にまつわる話を書いた本の作家として感嘆する思いであり、空海については彼の本心、性格、存在すべてが網羅された作品、空海に関する入り口であり、出口であると強く響いた思いである。

  • このタイトルが”風景”となったことについて司馬はこう述べている。

<空海の時代が遠すぎる、せめて彼が存在した時代、それを想像した風景に彼が現れはしないだろうか、空海の肢骨の一部でも筆者の目に見えれば>
史実に基づき現存する経典・書物に記する文字・語彙・フレーズを幾重にも照らし合わせ解釈する手法はあっぱれと言うしかない。
時間と気力、明晰な頭脳が一体化した所作であろう。
文献を読みあさっているのだろう、全体からディティールへと迫り全面展開する、特に空海最澄の駆け引きはおもしろい。

般若心経を一度でも唱えた方ならば、接しても良い本と思う。