また、友との別れ。この失った命を生かしたい

大観峰

  • 友を失った

7月6日午後8時40分、また友を失った。中学時代の親友である。
満月に向う上弦の月を過ぎた十一夜であった。今年最初に悲劇を浴びた3月6日の友の死も満月に向っていた。
阿蘇から友の眠る場所に走る風景は、町を覆う雨雲だった。

  • ガンだった

ガンだったという。しかも数ヶ月で全身に転移していた。
お医者さんの最初の執刀での所見は余命数年、その後の経過観察では更に短くなった。
西洋医学の限界を垣間見た気がする。
悪魔の雄たけびに、それを知った時にはすでに遅く、対処療法しかなす術も無く、人智が今取りうる最大の努力をしても、それは結局悪化を追うしかなかった現代医学なのだろうか。
予防医学の充実を願うが、それも発展途上か。
人間の全英知を結集し、それを生かすシステム作りを一刻も猶予無く完結するための努力、その一点へ傾注することを願う。

  • 私たちにあるのは異質な食事

市場経済原理がすべての今日に楔を打ち込みたい。
生産から消費に至るすべての過程が病気の原因を醸成させている現代ではなかろうか。
BSEどころではない、いま大きな問題になっている添加物、いやそれ以前にも一大事があると思う。牛豚鶏の飼料が化学物質や姿を変えた異質な物が使われているとの説もある。スーパーの店頭を飾る多くの加工された食料品もそうだろう。
我々の口に入るほとんどが身体の細胞に異質なものになってしまったような思いがする。

  • 知らないことが多すぎる、多くの情報と選択できるシステムが欲しい

限定的な情報や一方的な情報でなく、取捨選択可能な情報を権力者は国民に与えて欲しい。

果実は「朝取り」の方が機能性は十分であるが、ホウレンソウなどは夕方の方がビタミンC含有量は多い。季節を問わず出回る野菜の失われた栄養価よりも「旬の野菜」の高い機能性などを伝えて欲しい。寒締め栽培や育苗のほうがビタミンCは多い、ということは農業を経験しないと知識化できないが、せめて「旬の野菜を食べよう」とは言えるはずである。

骨粗しょう症乳がんの予防効果が大と言われる「大豆イソフラボン」は絶対でなく限界があると食品安全委員会言う。とりすぎには注意である。アメリカでは、豆腐などは「コレステロール低下につながる」と表示する一方で、イソフラボンを多くとっても「LDLは減らない」と発表する研究団体もある。サプリメント信仰にも警鐘を打ちつづけて欲しいと思う。

牛乳がすべてと言う。しかし、牛乳の摂取量に比例して骨粗しょう症患者も増え、戦前の10倍以上と言われている。現にミルク大国のアメリカ、北欧などは、日本より大腿骨骨折が多いという。今日急増しているアトピーや花粉症も学校給食など牛乳に原因を挙げる科学者も多い。良い面の声高が耳に響くが、反面があることも知りたいのである。

  • 命はつながっている

生物の世界、動物の弱肉強食の世界はメリーゴーランドの世界。
他の生物の命を頂いて自らの命を持続させる、ここには命を無駄にしない生き方がある。これは死を無駄にするなと言う人間の世界でも理解できるだろう。悲しく悔しい死を子どもに孫に生かすことをテーマとして追求していかなければと思う。
現代の科学にも未知の部分、未解明の部分は多くあるだろう。
科学における現時点での成果だけをもって正義を振りかざして欲しくない。我々が賢明になることと同時に経済の世界、企業の世界の論理で我々を一方的に圧倒しない知恵も欲しい。この世は人間あっての世界であるから。

  • 無農薬と無化学肥料は絶対と言いたい

我々の命を作るのは食べ物である。ストレスや環境以外に口から入った物の内容が病の原因を作る。医学は結果にしか対応できない。

私は野菜自らが生きるために手助けをしたいと畑で頑張っている。
完全無農薬をめざして、化学肥料は使わないし生ゴミ堆肥や落ち葉堆肥も少量にしている。それは、野菜達から我々はエネルギーをもらっているから、命をいただいているから異質な物質の混入を避けたい思いの発露である。
可能な限り野菜達にも自然に近い生き方をして欲しい。
地球の誕生、人間の誕生は自然の営みの一つだったと思う。多くを自然の営為に任せ、そして発展する科学があるとすれば、それは自然と共存できるものでなければならないものとしての存在、それが私の願いである。