つれづれなるままに道中記〜東京〜穂高〜鬼無里

鬼無里・松巌寺

【四日目】信州・戸隠から鬼無里

長野市鬼無里の山奥、ブナ原生林の中におよそ81万本の水芭蕉群落が偶然にも発見されたのは1964年。北群馬・尾瀬は明治時代の発見というから、この群落は最近まで山奥深く静かに呼吸をしていたことになる。
網走湿原、尾瀬湿原とここの湿原の優劣をつけることは人間の浅はかさになるだろうが、小さめの水芭蕉ながらも群落という点では日本一になるかもしれない。
ブナ原生林もある自然生態系が息づくこの地は、「奥裾花自然園(おくすそばなしぜんえん)」。春と秋、まだまだ自然の豊かさ大切さを学ぶことが出来る一帯である。

  • 尾瀬という価値を再度考えたい

観光客の増加で尾瀬の危機が言われて久しいが、過去幾度となく尾瀬は危機に瀕し、その都度人間の英知で乗り切り,今日までその多くの部分で豊かさを維持している。
敗戦後間もなく持ち上がったダム計画を中止に追い込み、70年代には林道計画が実行されるに至ったが、それも中途で断念せざるを得なかった。この時は環境庁初代長官大石武一氏の英断が大きかったが、こうした様々な開発を断念させたのは豊富な動植物の宝庫であり、生物の多様性が生きるその重要さに多くの人が立ち上がった結果であると思う。
自然の価値を認識することは、人間の存在の尊さにいきつくことを信じつづけたい。

鬼無里は鬼がいない里、そんな伝説「鬼女紅葉(きじょもみじ)」がある。
千年ほどの昔、紅葉という女性は源経基の妾となったが、その後信濃戸隠に流された。この地に東京や西京、二条、三条の地名があるのは、当時の紅葉の京を想う心情から付けられたらしい。
紅葉は挙兵して京に向おうとするが、戦いに敗れる。享年33歳。それからは鬼がいない平和な村になった。
近くに鬼女紅葉の守護仏地蔵尊を祀るお寺、松巌寺(しょうがんじ)がある。曹洞宗道元のお寺のようだ。天井には花鳥画がはめられていた。
           
今日のお泊りは「むろが荘」。おじいさんとおばあさんがこじんまりと経営する民宿だ。どんな美味しいものが出るかな、楽しみ!!