青森のリンゴ園で言霊が全身を貫いた

〜〜18日から続く

【報告その四:生物のいのちと木村氏の言葉】

  • ツルが巻きつく

こんな言葉がある。”自己のいのちは他者のいのちを包摂している”とは、ともに生きること。地球上の生物すべては一人では生きられない。他者のいのちがあるから、他者に支えられているから自己のいのちは維持できる。ルドルフシュタイナーの考えである”太陽系の恵み”にも通じる。シュタイナーは、ツバメが飛ばなくなると植物の成長は阻害される、と言う。
キュウリのつるは、木村氏が近づくとその手に巻きつくことがある。一方、巻きつかないキュウリは枯れる。子供にも巻きつくことがあるが生産者、いわゆる商売で育てている人にはそのような事はおきないようだ。

  • ピータートムプキンズ[土壌の神秘][植物の神秘生活]

リンゴ園でこの本のことを思い出した。内容は木村氏と多くが重なりあう。
ハイドン、ベートーベン、ブラームスシューベルトなどの曲にさらされたかぼちゃはトランジスターラジオのほうに向かって伸びて行き、一本はラジオの周りに優しく巻きついた。他のかぼちゃはロック放送から遠ざかる方向に伸び、ガラス箱のつるつる滑る壁をよじ登ろう(逃げ出そう)とさえしていた」
この本の内容と木村氏のリンゴ園には同じようなことがおきている。
草生栽培のリンゴ園は、有機物補給と硬盤破砕によりミネラルが十分に供給されている。しかも、害虫と益虫のバランスが保たれているため被害も抑えられている。まさに大自然の木や草が同じ場所で毎年大きく成長するように、リンゴは子孫を次世代に残す、その季節になると結実しているのである。暴風雨で周りのリンゴは落下したのにほとんど丈夫だったことも自然の力を持った茎の太さを表している。
「ある種の植物は他の種の植物の生育に有用な成分を土壌にもたらすことがっできる」と自然界についてこの本が述べていることが、ここリンゴ園ではごく当たり前になっているようだ。
<写真は実験中の酢を入れたペットボトル>

  • リンゴに季節を教える

草生栽培のリンゴ園の足元は野草で覆われているが、私が訪問したときは刈った後のようだった。「決まった時期の草刈でリンゴに季節を教えてあげるのです」。こんな言葉がリンゴを支えていると思った。優しさだけでなく木村氏には実践する力もある。何日もかけた虫の生態を図書館で独学したり、土壌の実験をしたり、芯食い虫の好物を調べたりには驚く。これについて木村氏は次のように言った。「目が肥料であり、目が農薬でした」。
<写真はリンゴ園の野草たち>

  • ケンタイコウシン

こんなことを言われていたが、多分漢字で書けば「健体康心」。健やかな体に安らいだ心があるというまさに健康という意味だと思う。
ルドルフシュタイナーの言葉にもある。「不健康な土壌から採れた食物を食べている限り、魂は自らを肉体の牢獄から解放するためのスタミナを欠いたままだろう」
<写真は落花生の根こぶ菌、自家栄養植物の典型>

  • ペレランドラとリンゴ園

バージニア州に住むミッシェルライトスモールの菜園は、このリンゴ園と同じかもしれないと想像した。
ミッシェルの言葉は「ペレランドラの菜園は私の命、私の心、私の呼吸です」「アオムシにひどくやられるようになったとき、私はアオムシのディーバに連絡して一株をアオムシに提供したいと声明し、他の株から立ち去ってくれと頼みました。次の朝、いなくなってしまいました」。
木村氏も同じような経験があるようだ。声をかける、触れることの結果こんなこともあった。小動物の子がわなにかかったが、目を見てかわいそうになり放したという。「これだけ食べてここから先は食べないでくれ」といいながら。その後、指示したエリアはまったく荒されなかった。

報告その五に続く